Leitkultur」(指導文化)という言葉は、統合に関する政治的議論の過程で生まれた(Novak, 2006, 17)。1996年、政治学者のバッサム・ティビによって導入された。ティビによれば、ヨーロッパの指導文化は、「民主主義、世俗主義、啓蒙主義、人権、市民社会」(Tibi, 2000, 154)に基づく西欧のリベラルな価値観に基づいている。移民政策に関する政治的議論の過程で、この言葉は繰り返し批判的に議論された。その過程で、この用語はますます政治的な性格を帯びていった。 用語から政治問題へ CDUの政治家イェルク・シェーンボームは、1998年の『Süddeutsche Zeitung』紙の記事の中で、「多文化」に対する直接的な対比として、また国民的アイデンティティを定義する試みとして、「ライツクルトゥール」という用語を使用した(ZIELCKE, SZ, 1998参照)。Jörg Schönbohmは、外国人は統合を拒むと仮定し、ドイツ基本法の価値を守るためにはライツクルトゥールの導入が不可欠だと考えている(Kowitz, SZ, 1998参照)。 2000年10月、当時CDU議会グループのリーダーであったフリードリッヒ・メルツは、この言葉を取り上げ、移民と統合のルール、そしてその過程で、ドイツの統一的な「リベラル・ドイツ・ライツクルトゥール」(指導的文化)を要求した。その結果、“Leitkultur „という言葉は、保守的な世界観とそれに対応する移民政策と結びつけられている(EBD, SZ, 2000)。同様に、この言葉は多文化に対するアンチテーゼとも解釈されている。 ライトカルチャーの議論の再燃 2015年の難民危機は、Leitkulturの問題に新たな推進力を与えた。2017年、トーマス・ド・メジエール(当時連邦内務大臣)がドイツのライトカルチャーに関する10項目のカタログを執筆し、新たな議論を引き起こした(ド・メジエール、Bild am Sonntag、2017年)。 移民のためのガイドラインとして定義されたLeitkulturのアイデアは、特に保守から右派の強い陣営で好意的に受け入れられた。例えば、チューリンゲン州議会のAfD議員連盟は、「Leitkultur, Identität und Patriotismus」(指導文化、アイデンティティ、愛国心)に関するポジションペーパーを発表し、その中で、例えば「ドイツの指導文化の保護と促進をチューリンゲン憲法と基本法に国家目標として盛り込む」ことを求めた(AfD議員連盟、ポジションペーパー:Leitkultur, Identität […]